AWS誕生の舞台裏。良い危機を無駄にすることなかれ

公開日
2022/01/03
インターネットバブルが弾けた2000年、私はAmazonに在籍していました。資本市場が空っぽになり、年間10億ドルもの資金が流出しました。私たちの最大の出費はデータセンターで、高価なサンサーバーを使用していました。私たちは1年かけてサンをHP/Linuxに置き換え、それがAWSの基礎となりました。その舞台裏をお伝えしましょう。
 
私たちは年間10億ドルをサンマイクロシステムズのサーバーに費やしていた。サンは当時、世界で最も価値のある企業の1つであり、当時サンを買うことはIBMを買うようなものだった。誰でも当然行うようなことだった。
 
当時の私たちのモットーは「より速く大きくなる」であり、サイトの安定稼働こそ私たちにとって最重要だった。サイトがもし落ちれば1秒ごとに売上を失うのだから、サイトを稼働させ続けることに大金を使っていた。サンは高価だったが、信頼性が高かったため、あらゆるIT企業が使っていた。
 
ドットコムバブル崩壊の2000年代。VCからの追加投資が得られずに破産した会社が放出した新品のサン製サーバーがeBayで10セントで売りに出始めた。(当時はAWSなどないから、自前でデータセンターを持つ必要があった)
 
このような状況だったため、ベゾスはサンに対して価格交渉することもできた。しかし、とったのはもっと大胆かつリスキーなアプローチ。エンジニア組織全部を使ってサンのサーバーをHP/Linuxに置き換えさせることを決断する。うまく行けばコストは大幅削減可能、失敗すれば会社はなくなる。
 
私たちは見事に移行を完了させた。時間通りに、とんとん拍子に。
これはエンジニアチーム全体にとって大きな成果だった。サイトは何の混乱もなく稼働した。設備投資は一晩で大幅に削減された。そして、私たちは無限に拡張可能なインフラを手に入れた。
 
すると、さらに興味深いことが起きた。
 
私たちは小売業なので、毎年11月と12月にはトラフィックと売上が跳ね上がるという季節性がある。そこでジェフは、「年間46週分のサーバー能力が余るのだから、これを他社に貸し出したらどうだろう?」と考えた。
 
これがAWSの基本的な考え方だ。
 
ベゾスが全社会議で、AWSを電力網の文脈で考えていたことを私は覚えている。1900年代、事業を始めるには自力で電力をまかなう必要があった。(が今はそうではない)
 
2000年代に事業を始めるのになぜ自社でデータセンターを保有しなければならないのか?
 
テスラが存在しなくても電気自動車が登場しただろう。それと同じで、AWSが存在しなくともクラウドは誕生していただろう。しかしどれだけ誕生が遅れ、機会損失になっただろう。AWSの誕生で起業のコストは劇的に下がり、イノベーションの爆発が起こり、現代的なVCエコシステムが生まれたのだ。
 
Amazonは2000年から2003年にかけて本当に死にかけた。しかし、この危機がなければ、Amazonが全く新しいアーキテクチャに移行するという難しい決断を下すことはなかったと思われる。そして、そのシフトがなければ、AWSは実現しなかったかもしれない。
 
良い危機を決して無駄にしないように。
 
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