真面目さ

ジェシカと私には、スタートアップについて話をする時に特別な意味を持つ言葉があります。創業者に私たちが送ることができる最高の褒め言葉は「真面目」だと表現することです。これ自体は成功を保証するものではありません。真面目であっても無能である可能性もあります。しかし、創業者が手ごわく(私たちが使うもう1つの言葉)、真面目であれば、それはもう限りなく止められないものになります。
 
真面目であることは退屈に感じられます。まるでヴィクトリア朝の美徳のようにさえ聞こえます。シリコンバレーの人々がそれを気にするのは時代錯誤のように思えます。ではいったいなぜ、それがそんなに重要なのでしょうか?
 
あなたが誰かを「真面目だ」と形容するとき、あなたは彼らはモチベーションが高いということを表現しています。それは正しい理由で何かをしているということと、一生懸命やっているということの両方を意味しています。モチベーションをベクトルのように考えるとすれば、方向性もマグニチュードも正しいということを意味します。これらはもちろん相互に関連しており、人々が正しい理由で何かをしているとき、彼らはもっと一生懸命頑張ろうとします。
 
シリコンバレーにおいてモチベーションがなぜそこまで重要かというと、シリコンバレーの多くの人々が間違ったモチベーションを持っているからです。スタートアップを成功させると、金持ちになったり有名になったりします。だから多くの人がその理由で起業しようとしています。 では代わりに何のためならいいのでしょうか?その代わりに問題自体に興味を持つことです。それが真面目さの根源です。
 
それはオタクの特徴でもあります。実際、人々が自分自身を「Xオタク」だと表現するとき、彼らが言いたいのは、Xに興味を持っているのはそれ自体が目的であって、Xに興味を持つことがかっこいいからとか、Xに取り組むことで得られるもののためではないということです。 彼らはXに興味を持っていて、そのためにかっこいいと思われることは犠牲にしてもいいと言っているのです。
 
何かに純粋に興味を持つことは、非常に強力なモチベーションの源泉であり、 一部の人にとっては、最も強力なものになります。だからこそ、ジェシカと私が創業者に求めるものなのです。 しかし、それは強さの源であると同時に、弱さの源でもあります。思いやりはあなたを制約するのです。真面目な人はふざけた冗談に簡単には答えられないし、ニヒルな表情を浮かべることもできない。彼らはあまりにも多くを気にしすぎるのです。彼らは真人間になる運命にあります。それは10代の頃には本当に不利なことで、あざけった冗談やニヒルな表情を浮かべるやつらが優勢になることが多いのです。しかし、それは後の人生で有利になります。
 
高校時代にオタクだった子が、当時クールだと言われていた子の上司になることは今では当たり前のことです。しかし、人々はなぜそうなるのかを誤解しています。それは単にオタクの方が頭がいいだけではなく、真面目だからです。高校時代に扱ったような偽物の問題よりも難しい問題を取り扱う場合、問題自体を気にすることが重要になってくるのです。
 
真面目であることは常に重要なのでしょうか?真面目な者がいつも勝つのでしょうか? 必ずしもそうではありません。政治や犯罪、あるいはギャンブル、人身傷害、パテント・トロールなどのような犯罪に似たある種のビジネスにおいては、真面目さはおそらくあまり重要ではないでしょう。また、インチキな学問分野でも重要ではありません。そして、私は確信を持って言えるほどには知りませんが、ユーモアの種類によっては、真面目さは重要ではないかもしれません。完全に皮肉っぽくなってもよく笑えるものもあるかもしれません。
 
興味深いことに、「オタク」という言葉が比喩として使われても真面目さを暗示するように、「政治」という言葉はその逆を暗示しています。真面目さがハンディキャップに思えるのは、実際の政治の世界だけではなく、社内政治や学問の世界でも同じことが言えます。
 
私が今挙げた分野のリストを見ると、明らかにパターンがあります。恐らくユーモアを除けたとして、これらはすべて私が疫病のように避けたい仕事のタイプです。つまり、「真面目であることがどれだけ重要なのか」というのは、どの分野で仕事をするかを決めるための有用な経験則になるかもしれません。それはトップにいるオタクの多さから推測することができます。
 
"オタク "と並んで、真面目さから連想されがちな言葉に「ナイーブ 」があります。真面目な人はナイーブに見えることが多いのです。他の人が当然に持っている動機を持っていないだけではなく、そのような動機が存在することも完全には把握していません。あるいは、知的には分かっていても、それを感じないから忘れてしまうのかもしれません。
 
動機についてだけでなく、信じようが信じまいが、あなたが取り組んでいる問題についても、ほんの少しだけナイーブであることが効果的です。ナイーブな楽観主義は、既成概念を急速に変化させる「ビットの腐敗」をカバーすることができます。「なんて大変なんだ」と言ってしまうような問題に飛び込み、そしてそれを解決した後に、それが最近までは未解決な問題だったということを知るのです。
 
洗練されているように見せようとする人にとって、ナイーブさは障害であり、これが、知識人になりたい人がシリコンバレーを理解するのが難しい理由の一つです。オスカー・ワイルドが1895年に「真面目であることの重要性」を書いて以来、「真面目」という言葉を怖がらずに使うことは安全ではありません。それなのに、シリコンバレーに視点を移してジェシカ・リビングストンの脳内に入ると、それこそが彼女のX線ビジョンが創業者に求めているものなのです。 真面目さ!誰が想像したでしょうか?大金を稼いでいる創業者が「世界を良くするために会社を始めた」と言っても、記者は文字通り信じられません。嘲笑されているように感じられます。 どうしてこうした創業者たちは、自分たちの発言がどれほど信じがたいものであるかに気づかないほどにナイーブなのでしょうか?
 
この質問をしている人は気づいていませんが、それは修辞的な質問ではありません。
 
もちろん多くの創業者はフェイクです。 特に、小さな稚魚のようなやつらは。
しかし、全員がそうではありません。自分たちが解決しようとしている問題自体に本当に興味を持っている創業者はかなりの数います。
 
なぜ存在してはいけないのでしょうか? 私たちは、歴史や数学、あるいは古いバスのチケットに興味を持つ人たちが、それ自体のために興味を持つというのはいたって簡単に信じます。なぜ自動運転車やソーシャルネットワークはそれ自体に興味を持つ人が存在してはいけないのでしょうか? このようにいつもと逆の方から見てみると、そういった人がいるのは当たり前のように思えます。そして、何かに深い関心を持つことは、大きなエネルギーとレジリエンスの源泉になるのではないでしょうか? それは他のどの分野であっても当てはまることです。
 
本当に疑問なのは、なぜ私たちはビジネスに関する盲点を持っているのかということです。そして、その答えは、歴史をよく知っていれば明らかなことです。歴史のほとんどの期間ずっと、大金を稼ぐことは知的に面白いことではなかったのです。 産業革命以前の時代には、それは強盗と対して変わらないものとされていましたし、ビジネスのいくつかの分野では、兵士の代わりに弁護士を使うことを除いては今でもその特徴が残っています。
 
しかし、純粋に仕事が面白いビジネス分野は他にもあります。ヘンリー・フォードは、興味深い技術的な問題に取り組むことに多くの時間を割いていたし、晩年の数十年の間、その傾向は加速していました。興味のあることに取り組むことで大金を稼ぐことは、50年前よりもはるかに簡単になりました。スタートアップの成長速度よりも、むしろそれがスタートアップにおける最も重要な変化なのかもしれないですね。しかし実際のところ、仕事が本当に面白いという事実があるから、すぐにそれを達成させられると言える部分が大きいのです。
 
知的好奇心とお金の関係に、これ以上に重要な変化があると想像できますか? この2つは世界で最も強力な力を持つ2つの力ですが、私が生きている間にこの2つの力は著しく一致するようになりました。このようなことがリアルタイムで起こっているのを見て、あなたが魅了されないわけがありません。
 
このエッセイでは主に真面目さについて語るつもりだったのですが、またもやスタートアップの話になってしまいました。ただ、少なくとも一人の「野生のXオタク」の例としては役に立ったのではないかと思います。
 
※この記事は原著者の許可を得て翻訳・公開するものです。
原文:Earnestness by Paul Graham
 
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