意地悪な奴は失敗する
公開日
2021/02/10
著者
最近、私が知っている成功者のなかで意地悪な人がいかに少ないかということに気がつきました。例外はありますが、驚くほど少ないです。
意地悪は珍しいことではありません。実際、インターネットが私たちに示してくれたことの1つは、人がいかに意地悪であるかということです。数十年前までは、有名人とプロの作家だけが自分の意見を発表することができました。それが今では誰でも公開できるようになり、これまで隠れていたような意地の悪さまでもが、簡単に私たちの目の前に現れてしまうようになったのです。
世の中には明らかに意地悪な人がたくさんいますが、私が知っている最も成功している人たちのなかにはほとんどいません。何が起きているのでしょうか?意地悪さと成功は逆相関しているのでしょうか?
もちろん、ここで起きていることの一部には選択バイアスがあります。私は特定の分野で働いている人しか知りません。スタートアップの創業者、プログラマー、教授などです。私は他のいくつかの分野で成功した人たちは意地悪だと言われても驚きません。成功したヘッジファンドマネージャーは意地悪なのかもしれません。言うほど多くのことは知りませんが。成功した麻薬王のほとんどは意地悪である可能性が高いと思われます。しかし少なくとも、意地悪な人々が支配していない大きな領域がこの世界にはあり、その領域は拡大しているように見えます。
私の妻で、Yコンビネーター共同創業者のジェシカは性格を見抜くX線ビジョンを持つ、まれな人物の1人です。彼女と結婚したことは、空港の手荷物検査機の隣に立っているようなものです。彼女は投資銀行からスタートアップの世界に来て、成功しているスタートアップの創業者がいかに一貫して良い人々であるか、そして失敗しているスタートアップの創業者がいかに一貫して悪い人々であるかということにいつも驚かされてきました。
なぜでしょう?いくつかの理由があると私は思います。
1つは、意地の悪さは自分自身をおとしめるということです。だから私は争い事が嫌いなのです。争い事においては、ベストな仕事をするということが不可能です。なぜなら、そこには普遍性がないからです。争い事での勝利はいつでも、状況と関係者の関数として決まります。いくら壮大なアイデアを考えついても、勝つことはできません。争い事に勝つために求められるのは、特定の状況においてうまくいくトリックを考えつくことなのです。そのくせに争い事というのは、現実的な問題について考えるのと同じくらいの労力を必要とします。これは、自分の頭をどのように使えているかということを気にする人にとっては特につらいことです。せっかく頭をフル回転させても、車輪が回っているだけの車のように、何の着地点も見いだせないのですから。
スタートアップは攻撃することで成功したりしません。他より優れているから成功するのです。もちろん例外はありますが、通常は立ち止まって戦うのではなく、レースの先頭を走ることが成功への道です。
意地悪な創業者が負けるもう1つの理由は、最高の人材を雇うことができないということです。仕事が必要という理由で、意地悪な彼らを我慢してくれる人を雇うことができます。しかし、最高の人材には他の選択肢があります。意地悪な人は、よほど説得力がない限り、最高の人材を自分のために働くように説得することはできません。そして、最高の人材を抱えることはどのような組織にも役立つものですが、スタートアップにとっては必要不可欠なことです。
仕事には、実は慈善の精神も求められています。偉大な事業を成し遂げるためには、慈善の精神に突き動かされるのが役立ちます。最終的に最も裕福になっているスタートアップの創業者は、お金に突き動かされている人ではありません。お金に突き動かされている創業者は、ほぼすべての成功したスタートアップが途中で耳にする巨額の買収オファーを承諾します。[1] 進み続ける創業者は、他の何かに突き動かされているのです。彼らははっきりとは言わないかもしれないが、たいていは世界をより良いものにしようとしています。つまり、世界をより良いものにしたいという願望を持つ人は、自然とアドバンテージがあるということです。[2]
大変面白いことに、意地悪さと成功が逆相関を示すのはスタートアップ業界だけではありません。これは今後の仕事の在り方を示しています。
歴史のほとんどの場合、成功とは希少な資源の管理を意味しました。文字通り、牧歌的な遊牧民が狩猟採集民を限界地に追いやった場合でも、あるいは金ぴか時代(19世紀後半。Wikiはこちら)の金融業者が鉄道の独占権を集めるために、比喩的な意味で争った場合でも、希少な資源は戦うことによって得られました。歴史の大部分において、成功とはゼロサムゲームでの成功を意味していました。そして、そのほとんどにおいて、意地悪さはハンデではなく、おそらくアドバンテージとなっていました。
それは変わりつつあります。重要なゲームは、ますますゼロサムゲームではなくなりつつあります。希少な資源の支配権を得るために戦うのではなく、新しいアイデアを描いて、新しいものを構築することによって勝利することがますます増えているのです。[3]
新しいアイデアを持つことで勝つゲームが昔からありました。紀元前3世紀には、アルキメデスがそうすることで勝ちました。 少なくともローマの侵略軍に殺されるまでは。このことは、この変化がなぜ起きているかを説明しています。新しいアイデアが重要になるためには、ある程度文明の秩序が必要です。戦争をしていないだけではありません。また、19世紀の大物たちがお互いに対して行ったような経済的暴力や、共産主義国が国民に対して行ったような暴力も防ぐ必要があります。人々は、自分たちが作ったものが盗まれることはないと感じる必要があります。[4]
思想家たちは、常にこのような状況を考えてきました。現在の風潮が思想家たちから始まったのはそのためです。歴史上成功していて、冷酷ではなかった人たちのことを考えると、数学者や作家、芸術家を多く思い浮かべることでしょう。彼らが実施してきた方法が現代の世界で広まりつつあることに、私は胸躍る気分です。知識人が行ってきたゲームが実世界にも広まりはじめ、これにより、意地悪さと成功の間にこれまで存在してきた関係性が真逆になってきているというわけです。
この記事で書いたようなことを、今、改めて考えてみて良かったと思います。ジェシカと私は自分の子供たちが意地悪にならないように一生懸命教育してきました。騒いだり散らかしたりジャンクフードを食べたりすることは大目に見ても、意地悪は許しません。今回の記事を書いた今、子供たちが意地悪にならないように教育するさらなる理由と、自分の意見の正しさを示す根拠を見つけました。つまり、意地の悪さは失敗につながるということです。
注釈
[1] 大型買収オファーを受け入れた起業家たちが全員お金だけが目的であった、と言っているのではありません。お金が目的ではない起業家は買収オファーを受け入れなかった、ということです。また、例えば家族を養うためだとか、世界を発展させるプロジェクトに従事すべく自由になるためなど、お金が必要とされる慈善行為を動機にしていた人たちもいると思います。
[2] 成功したスタートアップすべてが世界の発展に寄与しているわけではありません。でも起業家たちはそれぞれ、子供に期待を寄せる両親のように、自分の事業が世界を変えることができると本気で信じています。成功した起業家たちは自分たちの会社に惚れ込んでいます。人間同士の場合と同じで、こうした愛は盲目なものですが、まぎれもなく本物の愛なのです。
[3] Peter Thielは、成功している起業家は今でもなお独占によって富を得られると指摘するかもしれません。ここで言う独占とは、他者から奪ったものではなく、自分が作った物を独占する状態のことです。このことは大部分では正しいでしょう。つまり、言いかえてみれば、勝者についての大きな変化があったという意味になります。
[4] 公平を期すために書いておきますが、ローマ軍はアルキメデスを殺すつもりはありませんでした。ローマ軍の司令官はアルキメデスに危害を加えないように命令していましたが、結局アルキメデスは混乱の中で殺されてしまいました。
混乱をきわめた時代においては、そもそも生きることが今よりも困難だったので、思想さえも希少資源のコントロールに使われていたと言えるでしょう。
この記事の草稿を読んでくれたSam Altman、Ron Conway、Daniel Gackle,、Jessica Livingston、Robert Morris、Geoff Ralston、そしてFred Wilsonに感謝します。
この記事は原著者の許可を得て翻訳・公開するものです。
原文:Mean People Fail by Paul Graham