シュレップ盲目
公開日
2021/02/04
著者
私たちの目の前には、素晴らしいスタートアップのアイデアがいくつも眠っています。私たちがそれらを見過ごす理由の1つに、私が「シュレップ盲目(schlep blindness)」と呼ぶ現象があります。schlepはもともとイディッシュ語(訳注:ユダヤ系の言語)でしたが、アメリカで一般的に使われるようになりました。それは退屈な、不愉快なタスクを意味します。
シュレップが好きな人はいませんが、特にハッカーに関しては忌み嫌っています。スタートアップを始めるハッカーの多くは、巧妙なソフトウェアコードを書いてどこかのサーバーに置き、お金が入ってくるのを眺めるだけでスタートアップできたらいいなと思って始めているのです。ユーザーと話したり、他の会社と交渉したり、他人の壊れたコードに対処したりなんてせずに。それは可能なのかもしれませんが、私は見たことがありません。
Yコンビネーターで行う多くのことのうちの1つとして、ハッカーたちにはシュレップは避けられないということを教えています。コードを書くだけではスタートアップは始めることはできません。私自身、このことに気付いたときを覚えています。1995年の私は、コードを書くだけで会社を始められるといまだに自分に言い聞かせようとしていた時期がありました。しかし、シュレップはただ単に避けられないものというだけではなく、ビジネスの多くはシュレップで構成されているということを私はすぐに経験から学びました。会社は、それが引き受けるであろうシュレップによって定義されています。そしてシュレップは冷たいスイミングプールに対処する方法と同じようにして対処されるべきです。つまり、ただ飛び込むということです。不愉快な仕事自体を追求すべきだと言っているのではなく、それが何か素晴らしいものに繋がる道なのであれば決してシュレップに萎縮すべきではないと言っているのです。
シュレップを忌み嫌うことについて最も危険なのは、無意識に忌み嫌っているのが大半だということです。その無意識のせいで、あなたは痛々しいほどのシュレップを内包するアイデアを見ようとさえしないのです。これがシュレップ盲目です。
この現象はスタートアップに限りません。たとえばですが、ほとんどの人は意識することなく、オリンピック選手のような美しい体つきにならないことを決断しています。人々の無意識の精神は、そのために必要となる作業に対して萎縮すると決断しているのです。
私が知っている中で最も印象的な例は、Stripe、というよりStripeのアイデアです。10年以上も前から、オンラインで支払いを処理しなければならなかったハッカーは誰もが、この経験がどれほど苦痛なものであるかを知っていました。何千人もの人がこの問題を知っていたに違いないのです。それなのに、彼らはスタートアップを始めるときにレシピサイトや、地元イベントのまとめサイトを作ることにしたのです。なぜでしょうか?世界のインフラの最も重要な構成要素の1つを修正できるというのに、誰も関心がなく、誰もお金を出してくれない問題に取り組むのはなぜなのでしょうか?それは、シュレップ盲目のせいで決済を改善するというアイデアを考えることさえできなかったからです。
Yコンビネーターに応募した人のなかで、「決済を改善するべきか、レシピサイトを構築すべきか」と自問自答してからレシピサイトを選んだ人などおそらく1人もいません。決済を改善するというアイデアは、明瞭な形でそこにあったのに、彼らの無意識は決済の複雑さに萎縮しているので、そのアイデアを見ることすらできないのです。銀行と取引しなければならないですが、どうやってやりますか?それにお金を動かしているので、詐欺にも対処しなければならないし、サーバーに侵入しようとする人もいます。それに、おそらくさまざまな規制もあります。このようなスタートアップを始めるのは、レシピサイトよりもずっと威圧されます。
その怖さが、野心的なアイデアを二重に価値あるものにしているのです。本質的な価値に加えて、創業者たちの間では需要が少ないという意味で割安株のようなものです。野心的なアイデアを選べば、他の誰もがその挑戦におびえてしまっているので競争は少なくなるでしょう。(これはスタートアップを始める際にも一般に言えることです。)
どのようにしてシュレップ盲目を克服するのでしょうか?率直に言って、シュレップ盲目にもっとも効く解毒剤は、おそらく無知です。ほとんどの成功した創業者は、もし彼らが会社を立ち上げたタイミングから、乗り越えなければならない障壁について知っていたら、絶対起業していないと言うことでしょう。もっとも成功しているスタートアップの多くが若い創業者によって率いられているのはそれが理由の1つなのかもしれません。
実際には、創業者は問題を抱えながら成長していきます。しかし、年配で経験豊富な創業者でさえ、誰も問題を予見することはできないようです。若い創業者にアドバンテージがある理由は、2つのミスを相殺するからです。彼らは自分たちがどれだけ成長できるかを知りませんが、どれだけ成長する必要があるかも知りません。年配の創業者は最初のミスしかしないのです。
とはいっても、無知ですべてを解決できるわけではありません。アイデアのなかには、誰が見ても明らかに警戒するようなシュレップを含んでいるものもあります。どうやってその手のアイデアを見るのでしょうか?私がおすすめするコツは、映像からあなた自身を取り除いてみることです。「どんな問題を私は解決するべきか?」と尋ねるかわりに「私のためにどんな問題を他の人に解決してほしいか?」と尋ねるのです。もしStripeが誕生する以前に支払い処理をしなければならなかった人がその質問をしたとしたら、Stripe(が解決していること)は彼らが最初に望んでいたことだったでしょう。
今さらStripeになるのは遅すぎますが、世界にはまだまだ壊れているものがたくさんあります。その見方を知っていれば。
原文:Schlep Blindness by Paul Graham
※この記事は原著者の許可を得て翻訳・公開するものです。